クレトイシの歴史
広島県呉市は、瀬戸内海特有の穏やかな波と深い湾という地形を有していたことから、艦隊の訓練をする場所として適していたため、1889年呉鎮守府が開庁されました。
また、同時期に東京の築地から広島の江田島に移転した海軍兵学校もあり、日清・日露戦争で活躍する秋山真之などが、海軍幹部候補生として学んでいました。
呉鎮守府の開庁、海軍兵学校の江田島移転に伴い、呉は軍港として主要な都市となっていき、造船部が開設され、さまざまな最新技術が集約され始めます。
造船には、鉄鋼を切る・削るといった加工工程で研削砥石が使用されます。
そこで、造船に欠くことのできない必需品として研削砥石が重視されていきます。
又、1906年日露戦争の戦捷記念博覧会において、米国から人造研削砥石が出品されました。
このとき、初めて人造研削砥石が日本に紹介されたと言われております。
それまでは半人造研削砥石が使用されており、削るというよりは磨くという表現が望ましいものでした。
初めて人造研削砥石の使用を行った際、硬い鉄を火花を散らして削っていく様子を見た人たちは、驚き感心しました。その人たちの中に、当時呉服商人であった初代社長髙橋兼吉がいました。
髙橋兼吉は、研削砥石が「実に便利ですばらしい工具」であることに注目し、1910年自ら出雲産メノウを用いた国産人造研削砥石の製造に着手します。
これより、クレトイシが研削砥石のメーカーとしてスタートしていきます。
幾多の苦難をのり越えて、研削砥石の製造に成功します。
そして、呉海軍工廠では戦艦大和など多くの艦船が製造されていました。
砲台をはじめ多数の部品にクレトイシの研削砥石が使用されていたと言われています。
1940年砥石の需要拡大に対応するため、広島県呉市に当時の最新設備を導入した新工場を設立しました。
その3年後の1943年には、中国東北部(満州)に満州呉製砥所、大阪に呉製砥所大阪工場を建設し、研削砥石の生産を拡大しました。
終戦後1948年、呉工場で製造を再開し、今日まで鉄鋼、自動車、車両、電機、機械、半導体、その他産業界の全分野にわたり、業界の発展とともに着実な歩みを進めております。
クレトイシの歴史 | 日本の歴史 | |
1888年 | 海軍兵学校が広島の江田島に移転 | |
1889年 | 呉鎮守府が開庁 | |
1894年 | 日清戦争が始まる | |
1895年 | 「仮設呉兵器製造所」(1897年「呉海軍造兵廠」に改称)を設立 | |
1903年 | 「造兵廠」と「造船廠」が合併、「呉海軍工廠」となる | |
1904年 | 日露戦争が始まる | |
1910年 | ||
1911年 | 関税自主権の回復。 外務大臣:小村寿太郎が不平等条約改正を完全に達成する |
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1914年 | 第一次世界大戦が始まる | |
呉市に東洋製砥合資会社を創設、本格的に国産人造研削砥石の製造販売に着手 | 1916年 | |
東洋製砥合資会社を解散し呉製砥所に改称(創業起点) | 1919年 | |
1923年 | 関東大震災が発生 | |
1939年 | 第二次世界大戦が始まる | |
1940年 | ||
1941年 | 太平洋戦争が始まる | |
株式会社に改組、中国および大阪に工場建設し社業拡大をはかる | 1943年 | |
1945年 | 第二次世界大戦が終結 | |
戦災を免れた呉工場で研削砥石製造を開始 | 1948年 | |
1953年 | テレビ放送開始 | |
呉工場がJIS表示許可工場に認定される | 1955年 | |
呉工場ビトリファイド砥削砥石の全品種にJIS表示許可工場認定 | 1958年 | 東京タワー完成 |
工業標準化実施優良工場として広島通商産業局長表彰を受賞 | 1959年 | 伊勢湾台風 |
工業標準化実施優良工場として工業技術院長表彰を受賞 | 1960年 | 安保騒動で岸内閣総辞職 第一次池田内閣発足 |
茨城に東京工場を建設 | 1961年 | |
1962年 | オリンピック景気(’62.11~’64.10) | |
【通商産業大臣表彰を受賞】 |
1963年 | |
1964年 | 東海道新幹線が開通 東京で夏季オリピック開催 |
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社名をクレトイシに改称 | 1965年 | |
技術開発、経営管理に優れた成果をあげ、将来性のある優良企業として中小企業研究センター賞全国表彰を受賞 | 1970年 | 日本万国博覧会(大阪万博)が開催 |
米国ノートン社から技術導入と資本参加を得て、合弁会社クレノートン株式会社を設立 2008年まで、砥削砥石部門についてはクレノートンが担当する |
1972年 | 沖縄諸島が日本に復帰 札幌で冬季オリンピック開催 |
【ジルコニア砥粒のオフセット砥石】 |
1978年 | 新東京国際空港(成田)開港 |
【安全衛生保護具】 【不織布研磨材製品】 |
1981年 | |
ビトリファイドCBNホイールの製造開始 | 1982年 | 東北新幹線、上越新幹線が開業 |
【ダイヤモンド/CBNホイール】 |
1984年 | |
1985年 | 「科学万博-つくば ’85」が開催 | |
1990年 | 大阪で「花の万博」開催 | |
研磨布紙製品を製造する風早工場(広島県東広島市)操業開始(2000年まで) 研磨布紙製品の販売開始 |
1991年 | 雲仙・普賢岳で火砕流発生 |
1994年 | 関西国際空港が開港 | |
住宅用建築資材(樹脂サッシ)の製造販売開始 | 1995年 | 阪神淡路大震災が発生 地下鉄サリン事件 |
1997年 | 消費税率が5%になる | |
研削砥石製造の呉工場および呉地区がISO9002認証取得 | 1998年 | 長野で冬季オリンピック開催 |
研削技術センター(Grinding Technology Center)を開設 | 1999年 | |
研削砥石製造の呉工場、Diamond/CBNホイール製造の千葉工場がISO9001・2000の認証取得 | 2002年 | 日韓共催でサッカーの「FIFAワールドカップ」開催 |
台湾にIT産業向けの子会社 台湾呉砂輪股份有限公司(台湾クレトイシ)を設立 研削砥石製造の呉工場がISO14001の認証取得 |
2003年 | 新型肺炎(SARS)が世界的流行 |
2004年 | 新潟中越地震が発生 | |
Diamond/CBNホイール製造の千葉工場がISO14001の認証取得 | 2005年 | 中部国際空港開港 日本国際博覧会(愛知万博)が開催 |
2006年 | ||
研削砥石製造のクレノートン株式会社を吸収合併しクレトイシの砥石部門とする 台湾クレトイシがISO14001の認証取得 |
2008年 | リーマンショック |
2009年 | 新型インフルエンザの世界的流行 | |
2011年 | 東日本大震災が発生 | |
販売子会社である東日本クレトイシ販売株式会社、中部クレトイシ販売株式会社、西部クレトイシ販売株式会社、西日本クレトイシ販売株式会社の4社を吸収合併 タイに子会社 KURE GRINDING WHEEL(THAILAND)Co.,Ltd.(タイクレトイシ)を設立 |
2012年 | 東京スカイツリー開業 |
韓国に子会社 KURE GRINDING WHEEL(KOREA)Co.,Ltd.(クレトイシコリア)を設立 | 2013年 | |
住宅用建築資材(樹脂サッシ)製造の恵庭工場がISO9001の認証取得 中国に子会社 酷雷陶亦喜(上海)貿易有限公司(上海クレトイシ)を設立 |
2014年 | 御嶽山噴火 広島市北部で土砂災害発生 消費税率が8%になる |
米国に子会社 KURE GRINDING WHEEL(AMERICA),INC.(クレトイシアメリカ)を設立 | 2015年 | 北陸新幹線開業 |
2016年 | 北海道新幹線開業 | |
ドイツに子会社 Kure Grinding Wheel(Deutschland)GmbH設立 KURE GRINDING WHEEL(THAILAND)Co.,Ltd.(タイクレトイシ)がISO9001の認証取得 |
2017年 | |
クレトイシオンラインショップ開設 | 2018年 | 平成30年7月豪雨(西日本豪雨) |
韓国の子会社(クレトイシコリア)を閉鎖 クレトイシ創業100周年 中国の子会社(上海クレトイシ)を閉鎖 |
2019年 | 消費税が10%になる |
2020年 |